# 現代DJ概算学総論

# パラレル・ラブ

 大学図書館の静けさは妙に刺さる。
 耳を澄ませると、キーボードの流れるような打鍵音やシャープペンとルーズリーフの摩擦音、ボールペンのノック音が聞こえるが、それらの微小な雑音はむしろ、森でさえずる小鳥のように図書館という空間を彩っていた。
 しかし、聴覚のみに頼れば居心地のよいこの空間は、「大学」という限定された場所の雰囲気を考えると、居心地がよいどころか悪いとさえ言えてしまうような気がした。
 キーボードの打鍵音にはレポートに〆切に追われる者、シャープペンとルーズリーフの摩擦音やボールペンのノック音には試験勉強に追われる者、それぞれの焦燥感や苛立ちが仄かに混ざっていた。
 僕は本を閉じてポケットから携帯を取り出した。本末転倒な話だけれども、この空間はやはり本を読むのに向いていない。
 しばらくすると、「着きました」とYから連絡が来た。待ち合わせの時間には少し早いな、と思いながら辺りを見回すと、ふたつ隣の席に自分の携帯を眺めている彼女がいた。
 僕は軽く手を振り彼女に「気付いたよ」のアピールをして、言葉を交わすこともなく図書館を出た。

 僕とYは付き合っているが、互いに目を合わせることはない。刹那的に目が合うことはあっても、僕たちの視線は大部分が交差するか漸近するか、もしくは完全に平行するだけだ。
 顔を合わせているときでも僕は彼女の後ろや横にあるものを見ているし、彼女はたぶん僕の身体のどこかを見ているんだと思う。
 僕たちは専門的な言い方をすると、「視線恐怖症」というものを患っている。視線恐怖症は自己や他人の視線に関係した不安症状のことで、いくつか種類がある。僕は相手との距離が近いときに目を合わせることに恐怖を感じる「正視恐怖症」と、自分の視線が相手に対して不快感を与えてしまうのではないかと感じる「自己視線恐怖症」の2つを持っていて、彼女は正視恐怖症と、人の視線を恐れる「他者視線恐怖症」の2つを持っている。
 要するに、僕は他人を見たくないし、彼女は他人に見られたくないのだ。

「二人で並んで歩くこの時間が好き」
 キャンパスを二人で歩いていると、Yは小さい声で言った。
 僕も同じ気持ちだった。並んで歩いていればお互いの目を見る必要もないし、安全のために前を向くという、相手の目を見ない大義名分もある。
 もちろん、視線はこちらに向いてはいないのでそれが彼女の独り言なのか、それとも僕に対して言ったものなのかはわからなかった。
「……僕も」
 僕の声は彼女に届いただろうか。
 会話のない時間が続く。
 
 僕とYはあまり喋る方ではない。当たり前だけれど、世間は相手の目を見て話すことをコミュニケーションの基本とする。そのような世の中では、僕たちのような視線恐怖症を持つ人間は肩身が狭い。中には理解のある友人に恵まれたおかげでコンプレックスを抱えずに生きていける人もいるようだが、僕たちはそのような運も持ちあわせておらず、肩身の狭い思いをし続けて、結果として口数の少ない人間になってしまった。
 僕たちは互いにそのことがわかっているから、必要以上に会話をすることがない。隣にいるのに携帯のメッセージを使って話すこともあるし、むしろそちらの方が饒舌になって話が盛り上がる。目を見なくてもよいというところが僕らに気兼ねのない心地よさをもたらすのだ。

 付き合って間もない頃、僕ら二人の様子を見た友人に「どうして目を合わせないのか」と聞かれたことがあった。彼は直接言葉にはしなかったが、恋人なのに、と言いたげだった。彼が言うように、僕たちは恋人同士だというのに目を見て会話することがほとんどないし、あまつさえ一緒にいるときであっても携帯を使って会話していることがあるのだから、およそ通常の神経では理解できないのだろう。
 そのとき僕とYは自嘲気味に笑ってその場を流したが、今なら断言できる。
 これが僕たちの「愛」だ。
 確かに僕たちには欠点がある。でも、僕たちはそれを理解し合っていて、理解し合ってるからこそ互いの欠点を許容し、包み込むことができる。僕はYを包み込み、Yも僕を包み込む。相手の長所を好きになることより、相手の欠点を許容して包み込むことこそが真実の愛だと僕は思う。
 僕はYを見るのが怖いし、彼女も僕に見られるのが怖い。でも、僕は彼女を愛しているし、彼女も僕を愛している。僕たちは不器用なりに互いを理解し合って、互いを包み込むことで真実の愛を勝ち得たのだ。
 
 不意に袖を引かれて、僕はずいぶんと周りの景色が変わったことに気付く。どうやらしばらく考え込んでしまっていたらしい。
「この辺りじゃない?」
 Yは何も話さない僕を咎めることなく言った。
「うん、もうすぐ着くよ」
 僕は前を向いたまま答えた。僕たちはあまり話さないけれど、流石にちょっと黙りすぎたかもしれない。
 着いたら美味しいものでも食べながら話をしようか。 
 カウンター席のあるお店で、ね。


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ちなみに、俺は自己視線恐怖症と他者視線恐怖症と正視恐怖症を持っています。
失明したほうがいいんじゃないか。
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# 父と娘

 駐車場に父の車が停まっている段階で嫌な予感はしていた。いや、うちの駐車場だから父の車があるのは別に当たり前のことなんだけど。
 問題は時間。今日、私は授業が2講で終わりだから昼の1時には家に帰れる。で、家に帰ってみたら父の車がうちの駐車場に停まっている。父は普段車で通勤していて、平日のこの時間は仕事をしているはずなのに。体調でも崩して早退したのだろうか。
 少し心配しながら居間に入ってみると案の定父がいた。カーテンを閉めきったままの薄暗い部屋でイスに座ってテーブルを見つめている点を除けば、いつもの父である。全然いつも通りじゃない。
 放っておいた方がいいかなと思って部屋に行こうとすると、父が私を呼んだ。その声はいつもの父からは想像できない程に細く震えたものだった。
 
 要約すると、昨日付けで会社をリストラされて母にも逃げられたらしい。そういえば家を出るときにも父の車はあったし、母は家にいなかった。
 たぶん解雇通告は先月されたんだと思うけど、だとしたらどうして私には言わなかったのか。聞いても父はごめんとしか言わないし、どうして母が出ていったのか聞いても父はごめんとしか言わない。父も母も浮気をするような人間ではないと思いたい。ていうか、この状況からして母は職を失った父に愛想を尽かして出ていったようなしか思えない。えっ、うちそんなに家族仲悪いわけじゃないって思ってたのに、母は父のこと金づるとしか見てなかったの。夫婦ってこういうとき支えあうものなんじゃないの。えっえっなにそれこわい。
 とうとう父は情緒が不安定になってきたようで、自嘲するような調子でこれからどうしようなんて言ってる。もちろん失業保険も出るんだろうけど、今後の生活を心配しているというよりかは自分の経歴が傷ついたこととか母を失ったことに対する絶望とか色々ごちゃまぜになってるような感じがする。
 どうしてこうなったの。

 話しているうちに日が暮れたので明かりをつけた。蛍光灯の寿命が近いようで、部屋は薄暗いままだった。父も私に色々話して少しは気が晴れたようだが、それでも暗い雰囲気が私と父の間に漂う。この部屋みたいに。
 今日財務会計論のレポートを書こうと思ってたんだけどな、と気を紛らすようなことを考えてみても、父が職を失ったこととかもう母がいないこととかが邪魔して頭の中がぐちゃぐちゃになる。
 私が20年掛けて築いてきた家族の絆がこんなにも簡単に壊れるなんて。本当に母は父がリストラされたから家を出たのか。逆に浮気という線はないのか。でもまあ、どっちにしろ家族の絆(笑)はなさそうだ。結局あの人は出ていったんだ。
 これ以上母のことを考えるのはやめよう。あの人は私の母親じゃなくなる。遺伝子的には私の母親だけど、あの人はもう私の母親じゃなくなる。

 そろそろメシにするか、と父は言って台所へ向かった。ご飯を食べる元気はあるようだ。私は父が料理しているところを見たことがなかったので、期待半分不安半分といった気持ちで見守った。案の定父が私の期待に応えることはなかったのだけれど。
 ご飯にインスタントの味噌汁、そしてさんまの蒲焼の缶詰をレンジで温めたもの。いかにも自炊しない男の料理という感じがした。調理師免許持ってるって前言ってなかったっけ、と私が聞くと、父はだってあれ筆記だけで取れるし、と笑って答えた。父の笑顔を久しぶりに見た気がした。

 確かに私と父の気持ちはまだ居間の蛍光灯みたいに切れかかってて薄暗い。でも、蛍光灯は取り替えることができる。私たちも、また明るくなれる。
 うまく言ったつもりか。私は自嘲し、部屋に戻り手首を切った。
 
 わあ、鮮やかな明るい赤色。
 
 ばいばい、おとうさん。そしてわたしのおかあさんだったひと。

 

# 冷たい雨の日の物語

 袖で額の汗を拭って、男は息をついた。
 年末だからと気合を入れて掃除をしたのだが、少し張り切りすぎたらしい。おかげで男の部屋は人が住むにしてはひどく殺風景な様相を呈していた。

――それにしたって捨てすぎじゃない?

 細身で長髪の女、男は"君"と呼んでいる、が微笑みながら言った。君はいつもその微笑みを浮かべ、男のすることを口を出さずに見守っている。もっとも、結果如何では文句を言うことも少なくないが。

「どうせいらないものだからいいでしょ?」

 男はぶっきらぼうに言って、残り少なかった粉を全て使ってコーヒーを淹れた。君がコーヒー好きだから、という理由でコーヒーを飲み始めたが、男には今一つ美味しさが理解できなかった。

――雨、降ってきたみたいね。

 君がそう言うので窓の方を見ると、確かに窓には少しの水滴がついていた。天気予報を見ると、どうやらこれから雨足が強くなるらしい。
 
「参ったな……」
 
 男は眉間にしわを寄せ、頭を掻いた。今まで使っていた傘は古くなったので今回の大掃除で捨ててしまったのだ。

――出かける予定でもあるの?

「……これから、ちょっとね」
 
 不思議と予定を変える気は起きなかった。
 
 きっと雨は冷たいのだろう、男は風呂に入って体を温めてから出かけることにした。男はシャンプーとボディソープが切れかけていたことを思い出し、ついでにそれも使い切ろうと思った。
 
 男はあまり身だしなみに気を遣わないし、自分でもセンスに優れているとは思っていなかった。以前、せめて最低限の格好はしなさいよ、と君に言われたことを思い出し、男はなるべくおしゃれな格好をした。

「どうせこれから濡れるのにな」

 男は自嘲気味に笑った。
 
 窓を開けて見ると、さっきより雨が強くなっているようだ。これ以上雨が強くなる前に、と男が玄関に向かおうとすると、後ろから君の声が聞こえた。

――どこ行くの?





「……君に逢いに」

 男は写真立てを伏せて家を出た。 


 
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